なんか最近起こっている回転寿司の悪戯についての記事をみました。
性善説の限界みたいなそんな話だったのですが、その考え方もどうなんでしょうね。
性悪説に立つ場合、色々コストかかってしまいます。頻繁に発生するような状況だったらまだしも、頻度が低い事象に対してどれだけコストが割けるのか?
大きな企業にとってみれば、その対応をするよりも、裁判した方がコストが低いみたいなのもありそうっすね。
ちょいちょいブログにも出てくる端末管理とか、プロセスの整備とかをしていますが、この時も性善説前提です。
性悪説に立つと収拾がつかなくなるし、まぁそんなに多くないメンバーなんで信じて行った方が良さそうに思います。そうじゃないとほんとに手が足りなくなる……それこそ人がいっぱいいるところならまだしもですが……。
そういう監視するだけの仕事……ちょい辛そうだなぁ。